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折坂悠太のライブ「のこされた者のワルツ」を観た感想

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折坂悠太、最高

2025年4月4日金曜日。折坂悠太「のこされた者のワルツ」東京公演を観た。最高でした。客席の反応もあたたかい。最後はスタンディングオベーションも起こって、写真OKも出て。あの日あそこにいた人たちみんなに感謝します。ありがとうございました。

呪文ツアーに引き続きポジティブな雰囲気が強い。そのときは「呪文、いいアルバムだもんな」と思っていたけど、どうやらそのときのムードが保たれているらしかった。

それ以前のライブではMCが懺悔のように聞こえることもあった。もともと作風が内省的であったり時代の雰囲気をまとったりしているので、作品に寄り添ったライブパフォーマンスとなれば、憂いが強い時期があってもいいと思う。

今回のMCでも折坂さんご自身で「自分の歌はすごく個人的なことをうたっている。〜中略〜それぞれが似ているところがあるなと受け取ってくれていい(意訳)」ということをお話されていた。

ただ折坂さんの場合は雰囲気こそ暗くなっていても、歌の根っこでは必ず希望や明るい未来を願っているというか、祈っているように聴こえる。ひとを見捨てないというか、信じているというか。うまく言えないけど。

だからずっとそばに置いておきたい音楽なんだと思う。明るい気分でも落ち込んでいても、朝でも夕方でも夜でも聴く。時代やライフステージが変わると聞かなくなる音楽はたくさんあるけれど、寄り添い続けてくれる音楽は多くない。

むしろ最初は微妙だったのに後から好きになってくる曲もある。「春」とか最初に聴いたときと今とで、気に入り度合いがまったく違う。「さびしさ」はずっと愛してる。

正直今回のセトリは自分の好きな曲は少なかったけれども、折坂さんの歌が生で聴ければもうそれだけでいいんだ。充分幸せ。それくらいに折坂さんの歌とステージパフォーマンスを気に入っている。

ギター一本での弾き語りか合奏形態が好きだけど、今回のストリングス編成もレアでよかった。バックが派手になっても、歌声の魅力が薄れないのは本当にすごい。これだけ何度も見ているのに毎回感動する。

マラカス振ってるところも絵になるんだよな。今回も見れたね。ラジオと錫杖はなかったけど。やまんばマンボのときは山内さんがマラカスなんですね。すごく意外で、気付いたときは笑ってしまった。キュートでした。

こんなに長期間、楽しみに追いかけている人は折坂さん以外にいないかも。おそらく2018年ごろから、主催のライブやツアーはほとんど観に行っているような気がする。フェスとか対バンは行けていないが。3月にあった中村佳穂x折坂悠太のライブとか超行きたかったな。

バンドだとandymoriとかthe peggiesを熱狂的に追っていたけど、前者は愛したときにはもう解散が近かったし、後者は途中で社会人になったりして追えなくなってしまった。

単発でライブを観にいくのも楽しいけど、経過を追うのもいい。良かれ悪しかれ一回行っただけで判断しちゃうのはもったいない、好きなアーティストなのであれば。時期によってライブの雰囲気もセットリストも変わるし、世間の雰囲気も違えば観客席の反応も違う。

ひとりで行っても大丈夫

折坂さんのライブはひとりで行っても満喫できるのがいい。今回はそうでもなかったけど、内省的な表現の多いライブの日にはむしろひとりで来てよかったなって思うこともあった。コールアンドレスポンスとかを強制されることもないので、楽しみ方も自由。ゆっくり聞き惚れたり踊ったり。

好きなアーティストや音楽など、共通の趣味を持って語れる友達がいる人がうらやましい。ライブやイベントに行くと、そう感じてさびしくなる瞬間が毎回必ずある。以前はTwitterの相互フォロワーとライブハウスで会ったり、その前後でご飯を食べに行ったりしていたのでなおさら。

もちろん自分にもそういう友達はいるけど、最近はかなり減ってしまった。昔ほど趣味に熱狂しなくなったせいか、依存しなくなったせいか。単に趣味にかけられるリソースが少なくなって、機会も減っただけか。音楽だけじゃなくてゲームでも本でも、ジャンルで好みが分かれたりすると話が合わないしねえ。

昨今の推し活の空気は、好きでい続けることを強要されているようで怖いと思うときがある。熱狂できていないと、ちょっと話題に混ざることすらハードルが高い。しかも最近の自分が興味を持っているコンテンツ界隈は治安が微妙だ。

菜食・ヴィーガン系の話題は心理的負担が大きい。筋トレ・ランニング界隈は自分のレベルが高くないこともあって、すすんで突っ込んでいけない。じゃあ学生時代みたいにライブハウスに通って友達をつくって…という生活も難しい。ライブが行われている夜って、トレーナー業でも整体師業でも大事な時間だし。

SNS自体の空気も悪いよなあ。闇バイトにマルチ・宗教勧誘なんかが横行して、気軽にオフ会をやりづらくなっちゃったもんな。悲しい。

このあたり、最近はけっこう悩んでいるポイントではある。趣味のことで話せる知り合いを増やしたいんだけど、温度差があったりしたら申し訳ないというか、そもそも取り合ってもらえないような。コロナ禍以降、隣の席の人に話しかけるというのもやりづらくなったし。

なにか突破口になればいいなと思って、細々とブログを続けている。

夜桜も観てきた

行きと帰り、どちらも代々木公園を通ったので桜を見ることができた。特に帰り道は夜桜で綺麗。風は冷たかったけど、そのおかげで桜が散る様子も撮れたし。

折坂さんがMCで言ってくれたおかげかな。いい春になる予感がする。

追記:ライブに子供を連れてくることについて

ハッピーだった東京公演、自分の知らないところで一悶着あったらしい。折坂悠太の公式インスタグラムから発信があった。

確かに「折坂さんのライブってこんな子連れがいたっけ」と思うくらい、これまでのライブの中では見かけたかもしれない。自分は一階席9列目で見ていたが、たまに赤ちゃんがぐずる声なんかは聞こえた。それでもわずかだったと思うけど、二階や三階?はまた様子が違ったのかな。

書くかどうか悩んだけど、いまの自分の気持ちを残してみようと思った。

前提:僕は子供が苦手です

僕は子供が苦手です。人目を憚らないなら嫌いといっても差し支えないくらい。電車で同じ車両に乗ってきたら、自分が車両を変えるくらいに、かなりイヤです。

そんな自分の一面を疎ましく思っています。生物として種を残すことが嫌いなんて本能としてはありえない。抗いかたを間違っている。でもいまのところ自分の感じかたは変えられていないし、なんなら以前よりも怒りの感情が強くなっている気さえする。

その上で言うけれども、できればライブは子供も来られるような場所であってほしい。それもホール公演なら。ライブハウスとは会場の持っている意味合いが変わってくると思うから。特に今回なんてNHKホールだし。

でも、Xをちらっと見ただけでも目に入ってきた「抱っこ紐をつけた赤ちゃんがいた」という話が真実なら、それは連れてくるべきではないと思う。トラブルの種になるのは明らかだろう。子育てをがんばっている人たちには申し訳ないが、正直僕はそう思ってしまう。

世論はどうなんだろうね。多数決で決めていいことではないが、やはり昨今の雰囲気だと反対派のほうが多いのかな。そう考えるのは自分が反対派だからかな。

先日も礼賛のライブで一悶着あったばかりだし。今回の一件も連れてきた方・迷惑を被った方のどなたへも配慮があってほしいと思う。運営側に求められるものが増えて、大変だろうけれども。

すべての子供がダメとは思わない

自分が来てもいいと思うのは、ある程度自分の意思が育った子たちだ。そのくらいの子がライブに行きたいと言えば、親は連れていってくれるだろう。でもいざ来てみたら思ったよりつまらなくて、子供だから「早く帰りたい」とか口に出してしまう。

そんな声が聴こえてきたら(うわ〜席運悪かったな…)とは思うだろうけど、そのくらい幅広くアーティストの魅力が届きかけているんだな、とも思う。自分の好きなものが世の中に認知されているうれしさ。

そもそも大人だってマナーが悪いやつはいる。曲中に喋ったりスマホ見たり。ライブハウスとかフェスだと、出番のアーティストに興味もなければノリすらしねえのに、あとの出演者のために陣取ってたりするもんな。子供の素直な気持ちより明確な悪意だよ。

まわりの観客にストレスを感じたとき、それも自分が嫌いなカテゴリの人だったとき、つつきたくなる気持ちは自分も激しくわかる。特に子供なんて、親に連れてきた責任があるわけだし。

それでも自分は、ライブ会場でくらい子供を許したいと思う。普段からやれよって話だけど。もしかしたらその子が、将来とんでもないアーティストになるかもしれないしさ。「折坂悠太を聴いて育ったんです」とかインタビューで言われたら興奮する。

リスナーはどうすべきか

ご本人が「今回の公演は」未就学児OKです、と書いているあたり、実験的な部分もあるのだと思う。U22割というのもあったようだし、門戸を広く開きたい気持ちがあるんだろう。

折坂悠太という人は、以前から政治的な発信もいとわないアーティストだ。その人が子供もOKと言っている以上、リスナーとしてはその流れを汲むことになるんじゃないでしょうか。

もう【ハチス】の歌詞にもその想いがストレートに表出しているのだし。ちなみに子供苦手族の方々はこの曲をどう思っているんでしょうか。僕はぜんぶを共感できないながらも、折坂さんの想いが乗ったいい曲だと思っているのですが。

そこから考えてみると、今回のセトリも納得がいく。ワンピースの映画でAdoさんに提供した【世界のつづき】を披露したのも、【朝顔】【鶫】がメドレーだったのも。すでに曲がっている自分は「ずいぶんストレートすぎるファンサービスだな」と思ったけど、王道だって魅力的だよな。というか朝顔も鶫も子供に込めた想いがある曲じゃないか。

ライブに子供がいるなんて絶対に受け入れられない人もいるのはわかる。自分もいつか受け入れられなくなる可能性が充分にある。そうなってもライブを観られないわけじゃない。そうなったら自分はフェスとかライブハウスみたいな「子供は来ないでしょ or 泣かれても気にならないくらいデカい会場」のライブに行くだろう。大人は自衛の手段が選べるんだから。

これからどうなるんでしょうね。子供が増えないと社会は崩れていく。でも社会には子供を受け入れる余裕がない。合唱曲「海の匂い」みたいだな。

社会のしくみを整える必要はあると思うけど、生物として年老いていくことは変えられない。自分は介護なんて受けたくないと言う人は多いけど、好きなように死ねるほど人間はヤワじゃない。

世間の雰囲気は子供にやさしくあるべきだ。それは僕にとってますます生き辛い世の中になっていくわけだが、しかたないので受け入れる。

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